×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

対抗

 連続した電子音が二回響いて、赤いランプが灯る。光が揺れ、声が響いた。「よし」
 男の手には、メタリックシルバーのハンディカメラが握られている。赤い光はレンズの横から発せられている。一方の左手で、横にある液晶モニターを開いた。画面の右上には録画と表示されている。その画面に映されているもの、つまり録画している対象は、少女だった。
 薄暗い世界の中に、ぼんやりと浮かび上がるように、少女は佇んでいる。見るからに硬質なシーツの上に、長いスカートを傘のように広げ腰掛けている。覗ける両足首が揃っていることや、スカートの盛り上がり方から、足が慎ましく畳まれていることがわかる。硬いベッドは僅かしか沈まない。肩を縮こまらせているのは、緊張の為だろう。
 画面が暗く、表情が窺えない。灯りは、弱い光を放つオレンジ色の電球が一つだけ。その光が部屋の総てを淡く包み込んでいる。ここは狭いビジネスホテルの一室なのだ。男はハンディカメラから目を離し、直接少女を見た。
「緊張しないで、楽にしてよ」
 笑いかけながら、背後にある電球の所へ歩いていく。手を伸ばそうとするが、振り向いた。
「あー、暗くてカメラじゃ顔が見えないからさ。明かり強くしてもいいかい? 恥ずかしいなら、妥協するけど」
 少女は答えない。男は小さく唸る。「いいよって意味と取るよ」
 光が強くなり、少女の顔をはっきりと映し出す。円らな二重の瞳、小ぶりの鼻、桃色の唇。それらがあどけなさの中で線を結び、独特の美を放っている。未成熟ゆえの完全性。
 少女は唇を固く結び、節目がちに男を覗き込んでいる。弱々しい、ずぶ濡れになり震えている子犬のようだ。
 男は大げさに嫌らしく唇を歪めた。「黙ってるのは損だよ」灯りを指差すと、小首を傾げる。「じゃないとこういう事にもなる」
 ハンディカメラに視線を戻す。
「沈黙は金、雄弁は――喋るのが上手い奴ってことね――銀なんて言葉があるけど。俺はそんなのは嘘だって思ってる。やっぱりたくさん喋るのが一番だよ、上手い下手関係無く」
 少女が何も言わないので男は喋る。
「だって黙ってるのが金なら、死んだらすぐになれるわけじゃない? 死人に口無しってやつだよ。そこ言うと、喋るのは生きている間しかできないわけだ。そしたら、喋っていた方が得だと思うんだ、俺は」
 近づいていき、少女の顔が液晶モニターにはっきりと映し出された所で、立ち止まる。
「生きている間にしかできないことを、あえてしないなんて、それじゃ死んでるのと同じだもの」
 顔を上げて、微笑んだ。「ね?」
 無精髭の生えた顎は、現代の若者を代表する細さがある。鼻は高く、目も大きい。黒く沈んだ瞳は、宝石のように輝いている。中世的な男だ。短い茶色い髪が、染めた物なのかを判断するのは難しい。
「というか、今の話わかった?」
 男は持論の通り、しきりに言葉を並べた。
「俺説明下手だからなぁ。まあわからなくても聞き流していいよ。喋った方がいいってことを伝えたいだけだから。……わかった?」
 少女が頷くのを見て、男も満足そうに頷いた。
「よし、じゃあ始めようか」
 後ろにある机から椅子を引っ張り、深く座る。「ひとまず年齢と名前を――」
 男は言葉を中断する。再び口を開いた時、その趣旨は微妙に変化している。
「確認しとくけど、嘘はつかないでね。どっちも損するから。俺だって捕まるし、君だって自分を偽って人を騙したって事実が、頭の中にずっと残るんだから」
 頭を掻くと、男は申し訳無さそうに訊く。「偽るって言葉の意味はわかる?」
「大丈夫です」小さく、少女が返事をした。
「初めて喋ってくれたね、その調子だ」男は上機嫌に言う。「まあ、あれだよ。偽るって『偽』って書くよね、『人の為』って」
「はい」
「そうすると、なんだかいい言葉のように感じるけど、俺はまたまた、そうは思わないわけだよ」唾を飲み込む。「俺はこれ、『人が為す』って意味だと思うわけ」
「人が――?」
「あー、『為す』っていうのは『行う』って意味ね。だから元々、偽るようなことは人しかしないんだって事を、言いたいんではないかとね」
 少女がきょとんとしているのを見て、男は乾いた笑いを漏らした。
「ごめんごめん、こんな話つまらないね。じゃあさっさと本題に入っちゃおう」
「あっいえ、違います」少女は慌てて否定する。「ちょっと、想像していた人と違ったので、驚いてただけで」
「うん、確かに俺はちょっと変かもしれない。いや、変だ」
 男は邪気の無い笑顔を作る。少女もつられて笑ってしまう。男は素早く、自然な動きでハンディカメラを構える。
「笑顔、可愛いね」
 少女が瞳を更に丸くさせると、すぐに意味を覚り、頬を赤くする。男は含み笑いをする。
「照れちゃって、可愛いなぁ」
「からかわないでください」
「嘘じゃないけどね。じゃあ改めて、名前と年齢は?」
 未央、十四歳。
 男は感心の声を上げる。「何でまた、お金?」
 少女が首を横に振る。
「あーあ、また黙っちゃった」男は残念そうに呟く。「はっきり言っちゃいなって」
「友達が」
「なるほどね」
 男は無感情に呟く。録画を中断すると、液晶モニターを閉じた。
「お金足りないってんなら、とやかくは言わないんだけどね。経験談でも話された?」その語り口は柔らかい。
「私の友達全員、した事があるって」
「興味あるなら、彼氏とかとするという選択もあるでしょ」
「いえ、みんな、その――」言葉がたどたどしくなる。「お金を稼いだことがあるって」
「援交自慢か。で、勧められたかしたわけね」
「……はい」
 男は溜め息をつく。ハンディカメラを後ろの机に置いた。
「別に俺にとっちゃ仕事だから、どんな理由だって構わないんだよ。ただ後々のことを考えると、できる限り尾を引かず、後腐れ無くを心がけなきゃと思ってる。自分の身が可愛いからね。わかるかな?」
 未央は相槌を打ち、首を縦に振る。
「うん。やっぱり君は賢いね。話しやすいよ」
「別にそんなことは――」
 男は未央の言葉を遮り、捲くし立てる。「じゃあ君の今しようとしている事が何か、教えておくよ。当然、ダメって言われていることなんだけど、詳しくはどういう事なのか」
 未央はその強引さに、頷くしかないといった様子でいる。
「法律ってあるよね。で、その中には刑法ってのがあるよね。その百七十六条には、十三歳より若い人と猥褻なことをすると、罰せられますよって書かれてる。まあ、もちろん俺がだけど。だから俺は慎重なんだ」
 男は笑みを作る。
「でも未央ちゃんは十四歳、これなら大丈夫か。いやいやそんなに甘くない。法律では大丈夫でも、俺達の住んでいる所が俺を許さない」
「住んでいる所、ですか?」
「うん。町やら県やらが決めている条例ってのがあってね。青少年保護だとか言って、十八歳から下の人と猥褻なことをすると罰するとか言うのを決めている」そしてわざとらしい口調で続けた。「でも待てよ。するってぇと、未央ちゃんは罰せられないんではないか、俺みたいなスケベロリコン野郎が捕まったって構いやしないってなる」
「そ、そんな事、考えてないです」未央は慌てて弁解をする。まるで男が、そんな酷い人ではないと弁護しているようである。
「まあ、イフ、もしもの話だよ。ひとまずここまでがルールの問題。で、ここからは未央ちゃんの気持ちの問題だ」
 未央は黙っている。男は続ける。
「またもしもの話だけど、二人がした事がばれて、俺がスケベロリコン野郎として捕まったら、君には降りかかる物は無し。ざまあみろとなるかと言うと、そんなに甘くない。少なくとも君の周りにいる人たちは、君を、今までとは違う人としてみる。しかもそれはちょっと変な雰囲気のある見方だ。わかるよね?」
「……はい」
「でもそこは未央ちゃんの気持ちの問題だ。君が構わないなら、俺も構わない。そういう部分だ。で、長々と言ってきたけど、結論を言うと俺は大抵、相手の気持ちをまず大切にしてる。そんな時危険は大抵、無視するようにしている」
 色々いるんだよ、世の中にはと男は言う。「お金にすごく困っているとか――目に後ろめたさが無いんだよね、使命感かな――、抱かれないと寂しくて死んでしまうとか――リストカットたくさんこしらえてたね――、君くらいの年の子がそんな事を真剣に話す。……まあ、これは君もそれくらいの気持ちで来いという意味じゃないけどね」
 未央の顔色が青くなっていく。男は砕けた調子で笑う。
「ほらほら、深刻になっちゃダメだよ。そういう人もいたってだけの話なんだから。それに本題はそこじゃないんだよ。色々事情があってみんな俺の所に来たけれど、俺はあることが欠けてそうな子は、みんな断ってるんだよって話さ」
 未央が顔を青くしたまま、男を見た。男は未央を指差し、告げる。今までにも増して、場違いな明るい調子で。
「果たして君が大人かどうか」
 未央が瞳をパチクリとさせる。青い顔さえ引いてしまう。訳がわからないのだ。
「ごめんごめん、意味わからないか。君がちゃんと判断できる人かって事を言いたかったんだよ。さっきも言った通り、俺はばらされるとすっごくまずいと思ってる。だから君の友達みたいな子は願い下げだ。言い触らされたら堪らない、そうでしょ?」男は続ける。「その友達は君の他にも数人に話してるでしょ。そしたら、いつかは親にも知れ渡るかもしれない。どう話が飛び火していくかなんて分からないんだ。そんなの、すごく危ないでしょ」
 未央が頷くのを確認してから、男は補足の説明をする。
「君だって俺に話した。まあ俺はその友達の名前も知らないし、他の人に話そうだなんて思ってないから平気だけど、考えてもみなよ。こんな風に初対面の、もう二度と会わない赤の他人に広まることだってあるんだ。いつも近くにいる親に知られるのなんて、もっともっと確率が高いよ」
 男は咳払いをした。「また長話をしちゃったね。とにかく、だから俺も判断をしなきゃいけないんだよね。君が誰にも話さないか、本当に話しても大丈夫な人にしか話さないような、判断力を持っているかをさ」
 まあ君は大丈夫そうだけどねと、男は言う。
「でもね、これは酷く辛い事だよ。君達はまだ子どもだから、本当なら親とか法律とかいう決まりが、膜を張っているみたいに包み込んで守ってくれてる。それを自分から突き破るんだからね。しかも後戻りはできない。一度破った物をもう一度羽織ったって、やっぱり不自然なんだ。……ごめん、分かりづらかったね」
 未央は首を横に小さく振る。「わかります」
「そっか」男は嬉しそうにする。「で、脅すだけ脅しといてなんなんだけど、どうする? 俺は君なら黙ってくれると信じられるから、大歓迎なんだけど」
 未央は微笑む。首から頬にかけての緩やかな美しい輪郭、その上に桃色の三日月が出来上がる。
「やめときます」
 頬に小さな、可愛らしいえくぼが出来上がる。年相応の子どもらしさが現れていた。
「それがいいよ」
 男はジーンズのポケットから財布を取り出すと、五千円札を取り出して、未央に差し出す。
「はい、給料」
 未央は両方の手の平を前に出して、受け取ることを拒む。「そんな、もらえないです」
「ここまで来てくれたお礼だよ」
「でも――」
 頑なな態度に、男は笑いをこぼす。
「おこづかいだってば。普通仕事したらこの十倍は払うんだよ」
「だったらなおさら、仕事してないんだからもらえないです」
「じゃあ仕事したら、もらってくれるわけね」
「えっ?」
 未央がその言葉の意味を頭で整理している内に、男は身を乗り出す。額に、そっと唇を触れた。五千円札を未央の手に握らせると、スッと立ち上がり、微笑む。
「はい! これで文句言いっこ無しね」
 未央が再び、放心の余りに瞬きを繰り返す。「えっ?」先程の言葉を再生する。手の違和感に気付いたのか、顔を下に向ける。そしてようやく、自分の手に給料が渡されている事に気付いた。
「あっ」力無い言葉。
 男は声を出して笑う。「お仕事ご苦労様」
 男の満面の笑みに押され、渋々とした様子でそのお金を受け取る。装飾の無いシンプルな薄緑の財布に、ゆっくりと五千円札を入れる。
 その動作を総て見終えてから、男は言う。「申し訳ないけれど、ホテルの出口までは見送りはできないんだ。だからここでお別れ」
「今日はすみませんでした」未央は頭を下げる。
「気にする事無いのに。俺は好き勝手たくさん話ができて楽しかったもの」
 その無駄話を聞いてくれたお金だと思ってくれてもいいねと、男はおどける。未央は笑う、少女らしく。
「ありがとうございました」深々と頭を下げた。
「こちらこそ」男は軽く手を上げる。
 未央が背を向けて、出口へと歩いていく。男はそれについていく。「ひとまずこの部屋までは、ね」
 未央はドアの前に立ち、ノブに手をかけた。音も立てずに回すと、ゆっくりと引く。できた隙間から体を滑り込ませるように、外へと出て行く。礼儀正しく会釈をしてから、ドアを閉めた。静かに乾いた音が響く。
 男は引き返して、椅子に腰掛ける。机に置いていたハンディカメラを手に取る。液晶モニターを開くと、いくつかの操作をして、未央のデータを消去する。
 ベッドにハンディカメラを放り投げ、自分自身もベッドに倒れ込む。バネのきついベッドが、鈍い悲鳴を上げた。