潔癖症の恋

 そっと触れた唇が、熱持つ息を漏らす。ささやかな接吻は、彼女の顔を真っ赤に染めている。そんな物を見せられて、僕もまた、ジリジリと顔が熱くなるのを感じるのだ。
「やっぱり、どきどきするね」
 口元を押さえて、彼女はぽそぽそと呟いた。小さな指が四つ揃って、唇を覆い隠している。指先についた光沢のある爪が、傷一つ無い光を照らしている。
 僕は笑いをこぼして、立ち上がった。まだ唇に、彼女の感触が残っていた。気恥ずかしげに、手を伸ばした。
「送ってくよ」
 彼女の目が、僅かに見開かれた。長い睫毛が揺れて、瞳が揺れる。何も言わず、頷いた。頬に染みた赤は、そうっと引いていく。
 帰り道に、彼女が伸ばしてきた手を、僕は固く握り締めた。彼女がふと身じろいだが、それも僅かな事だった。
 陽は傾き始めている。セピア色の薄いフィルムが、全体にかけられたような景色が、僕らを包んでいる。固く握り締めた手に、彼女は頑なに握り返してくる。暖かな、生命の脈動を感じる。
「好き」
「うん、僕も」
 彼女が、口元に笑みを作って、頷いた。幸福なのだと思う、幸せな気持ちが滲み出る時、すべからく人は柔らかい表情をする。
 家まで送り届けると、彼女は小さく手を振った。
「じゃあ、また明日ね」
 僕は手を振り返し、相槌を打つ。踵を返し、彼女の視線を感じながら、帰路を辿る。別れ際の笑顔は、作り笑顔だったのだろう。寂しさが浮かんでいた。僕はそう感じられる事が、とても嬉しく思う。
 家に着くと、僕は早速洗面所に向かう。水を流すと、石鹸をたっぷりと付けて、しっかりと泡立てて、手を洗う。手が水に包まれ、光を滑らかに反射する。僕は満足すると、その手で水を溜め、口を洗った。水を擦り付けるように、しっかりと手を当てる。何度も何度も繰り返し、その後に顔を洗った。最後にうがいを丹念に行うと、水を止める。
 僕は息をついて、彼女の感触が残っていない事を確かめる。部屋に戻ると、机の傍にある椅子に腰を下ろした。
 彼女の笑顔を、そうっと思い出して、僕はそうっと目を瞑る。口元が自然と緩んできて、僕は気恥ずかしくなる。含み笑いをして、明日に思いを馳せた。