この素晴らしい世界を

 ヘッドフォンの耳当てを見てみると、顔をしかめた。安物のスポンジには、揉み上げから抜けた短い毛や埃が所々にこびり付いている。爪を立てて、その空洞だらけの無抵抗なやつを掻き毟ろうかと思うが、流れてくる音楽に制止された。
 無数の粒々の隙間から、奥深い黒から、流れてくるのは一昔前のヒットナンバーだ。
 思い出に彩られた音楽は、耳から入って頭と胸の中に沁み込んでくる。歌詞の深浅ではなく、曲調の流れが強く問いかけてくる。
 校庭の白茶けた砂を巻き上げて、僕たちは走り回っていた。後ろにいる奴は手酷くその影響を受ける。足の遅い奴の目に砂が入り、藻掻くように目を押さえる様を、前を走る僕たちは大笑いするのだ。
 後ろを走らねばならない奴に限って、そんな運動が苦手な奴に限って、少し目に入ったり、手が汚れたりしたくらいで大騒ぎする。その様子は大げさで、滑稽だ。だから一層僕たちは強く地面を蹴る。
「やめろよ!」
 そんな言葉は餌でしかない。僕は後ろを見ながら、高笑いをしていた。
 僕は目を瞬く。
 側頭部をさすり、今でも疼く気のする部分を意識する。
 僕は、フェンスを立てる太い柱に頭をぶつけたのだった。野球のファールボールがプールに入らないようにする、高いフェンスだった。巨大な支柱が両端に付いていて、アルファベットの『A』の形をしていた。その横の部分に直撃したのだ。
 痛みはなかった。視界が黒くなって、赤い物が弾けた。僕は倒れて、周りのみんなが駆け寄ってきた。起き上がろうとしたところで、ようやく痛みが襲ってきて、僕は泣き出したのだった。
 保健室に連れられ診てもらうと、非常に大きなたんこぶができあがっていた。
「これなら大丈夫、心配いらないよ」
 先生の言葉を僕は信じた。実際、大丈夫だった。僕はこの痛みを忘れまいと決意したけれど、またどこかで頭をぶつけていた。
 思いがけない記憶の蘇りに、僕は戸惑う。ヘッドフォンから漏れる音楽に、不気味な黒と紫の色が付いた気がした。
 あの頃の流行は女性のグループで、四人組のくせに二人しか歌わないことを奇妙に思ったことがあった。そんな部分で僕はそのグループを見限り、他の男性グループのヒットナンバーを聴くようになったのだった。
 そもそもがその頃のCDを漁ったということの、理由なんてものが僕にはない。現代に復活させるきっかけが、正直なところありはしない。
 ただ何となく始めた部屋の掃除、出てきた直径八センチのシングルをパソコンのCDドライブに突っ込んで、挿しっぱなしだったヘッドフォンからメロディーが流れ出す。
 そのまま側の椅子に腰掛けたら、時間は過ぎて最後の曲が流れていた。それも直に終わろうとしている。
 僕は半ばでCDを取り出す、黄色いラベルをした目の覚めるようなデザイン。裏は傷だらけで、良くも問題無く再生できたものだ。あの頃はたくさんの貸し借りがあった、このCDも人気商品で色々な物の物々交換の条件とされた。
 CDをケースに戻し、元のところに戻した。クローゼットの奥、薄汚れたCDラックと共に、思いの外手厚く。
 昔ほど、自分はCDを買わなくなった、ゲームも漫画も。テレビも観なくなった。忙殺、そんな言葉が言い訳に相応しいだろうか。
 騒がしい声は、耳の奥に響いていた。単純に騒ぎ回る僕たちの姿が、異様なほど輝きながら、鮮明に映っていた。
 虫や花や水、何も彼もの動きに敏感で、退屈ということがなかったかつての姿。楽しもうとすることを楽しもうとしていた。
「ああ、そうか」
 単に、自分が変わっただけなのだ。合わないのでなく、合わせようとする、自然にできていたことがいつか、できなくなった。
「暖かく、なってきたな」
 窓の外の景色が、眩しく見えた。また、頭をぶつけてみるのもいいかもしれない。